【中庸】どちらにもかたよらず、中正な・こと(様子) 出典)新明解国語辞典第4版 三省堂刊
中傭(「傭」は「庸」ではなく、あえてそれを用いた)の意味を国語辞典で調べたところ、上記の通りだった。日常使用されるその文言の意味も大体それに拠っているだろう。そこから派生して、特定の主張や立場に与せず自分自身の立場を明らかにせず、処世していくという消極的態度を意味することになる。
しかし、それは中傭の意味を誤解したものであるとする主張を眼にした。
『法の基本構造』(沢登佳人著 風媒社刊)によれば、
「中傭」とは、正義のあらゆる実現態様に平等の重要さを認め、それらの均衡調和の中に全体としての正義の最高の実現態様を見出そうとする態度であり、したがって正義の最も一般的総合的な内容を構成するものである。中傭を欠く―すなわち特定の正義の実現態様だけを排他的に強制する―主張や行動や規範は、殆どの場合特定階級、それも多くの場合支配階級の、特定の社会的歴史的条件下における特殊な利己的利益主張の現象形態である。
それ故、中傭とは、しばしば誤解されているように、いろいろな思想や立場や党派のどれにもつかず、またどれに対してもはっきり反対しないで適当に身を処してゆくこと、その意味において一種微温的な、よく言えば穏健な、処世態度を指して言うものではない。むしろ全く逆に、すべて正しいものを公平に正しいとし、その結果すべての悪とすべての偏った正義感とを徹底的に否定し、そのためには支配権力とも真向から対立することを辞さぬ、毅然たる行動態度を指して言うものである。
なるほど、この意味ならば「中傭」という態度に積極的な価値を見出すことができる。さらに、すべての正義を公平に認め、すべての悪を徹底的に否定するという態度は、人としてのあるべき姿を提示している。従って、「中傭」はこの意味で語られるべきものと思った次第である。
ラベル:沢登佳人

