「悪法も法なり」と言ったのは、ソクラテスでしたっけ?まあ、逸話でしょうから、本当にそう言ったのかどうかは判りませんが。
「悪法も法なり」との言は、どんなにひどい法であっても法である以上はそれに従わなければならないとの趣旨でしょうかね?そして、ソクラテスは毒杯をあおって刑死したと・・・。
大哲学者ソクラテス先生がおっしゃられるのであれば、「その通りでございます。」とつい思ってしまいがちですな。確かに、ソクラテス先生の活躍した時代においては、それは真(まこと)であったのでしょう。ですから、ソクラテス先生は間違ったことをおっしゃった訳ではありません。
しかし、近代以降の社会においてはどうでしょうか。
市民革命以後、個人の尊厳を中心的な価値とした人権保障の体系が発展し、人権保障の基礎法としての憲法(近代的意味の憲法)が制定されています。社会の最高法規たる憲法に定められた人権保障をないがしろにするような法律すなわち悪法は憲法の名において排除されねばなりません。憲法が法体系の中で最高位に存在し(最高法規性)、憲法に抵触する法律を違憲立法審査権によって無効とすることができるのも個人の尊厳・自由を最高の価値として、それを守るためです。
とすれば、現代においては、「悪法も法なり」とのソクラテス先生の言は妥当しないでしょう。妥当しないというよりも寧ろ我々は、我々の自由の砦である憲法を以て不断の努力によって悪法を排除していかねばなりません。
もっとも、悪法排除は国会(国会議員)の立法権や裁判所(司法官僚)の司法権・違憲立法審査権の行使を待っていては実現できないでしょう。我々の自由獲得への不断の努力と権力への懐疑と監視とが絶対不可欠です。
歴史がそれを証明しているでしょう。
【TB】
「悪法もまた法なり」か…
2004年10月24日
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